カタコンベの地下 

地下に降りる煙突の外側を廻るような螺旋階段を伝って地下二階まで降りた。

 

地下3階まで在るが地下水が上がってきているので今は地下2階までの見学しか出来ない。

 

1901年に発見されたこの墓はギリシャと同じ様式で岩窟されている。ベンチの壁にギリシャ人の一番好きな形である大きな貝殻が彫られている。お墓参りに来た人はこのベンチに腰掛けて持ってきた弁当を食べる習慣があったそうだ。ここで使った食器類は持ち帰るのは縁起が悪いとされていたので地上に捨てていた。それが貯まって丘みたいになった。この丘はアラビア語で「コムシュカータ」、壊れているお皿の丘と呼ばれた。墓の中に残る彫刻には古代エジプト時代とギリシャ時代の両影響が混ざったものが見られる。

 

 

墓の入り口の左右に墓のオーナーとその奥さんの像が置かれている。

  

柱の上部には、ギリシャ時代の影響で、円盤の中に彫られたメドゥーサの顔と台の上に座った蛇とが彫られている。

 

メドゥーサはお墓を守る人で、ギリシャの伝説では墓を荒らしに来た人がメドゥーサの醜い顔を見ると石になってしまうと言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

ツタンカーメンの埋葬品の展示で見たのと同じ様な、ライオンの頭と足の形で作られたベッドの上に置かれた遺体をアヌビス神がミイラにしている様子が描かれたレリーフがある。ベッドの左右の端には隼の頭をしたホルス神とトキの頭をしたトト神が立って見守っている。ベッドの下には3つのカノープスが置かれている。本来ならば4つのカノープスを描く必要が有ったが、アヌビス神の足と重なったため、カノープスは1つ省略して描かれた。

 

トキの頭をしたトト神

 

隼の頭をしたホルス神
グレコローマン時代は古代エジプト時代からの影響と新しくギリシャから入った文化の影響とが混ざり、ホルス神やアヌビス神はギリシャ人の身体をしている。

 

隣の壁には、亡くなった人が服を着て神様と女神様の前で宗教的な書物を読んでいる場面が描かれている。

 

 

亡くなった人は王様と同じ冠を被り、聖なる動物の牡牛(アピス神)に餌を捧げている。

 

牡牛の後ろに領土の女神が翼を広げて聖なる牡牛を守っている。

 

 

 

 

 

更に奥に進むと、壁に沢山の穴が掘られており小部屋に仕切られ、ここに同じ家族が埋葬された。金持ちはミイラにされ、そうでない人は土葬された。ギリシャ人は長くエジプトに住んだが遺体はギリシャの習慣に従って、火葬にして骨壺を墓の中に納めた。

 

 

ここで発見された馬の骨が少しだけ置かれている。グレコローマン支配時代にアレキサンドリア市民の半分以上はギリシャ系の人であった。ギリシャでは昔から乗馬大会を行う習慣が有ったの、アレキサンドリアに渡ったギリシャ人達も毎年乗馬大会などを行い、そこで優勝した馬は死んだ後、そのオーナのお墓に納められた。