アレキサンドリア市内の様子 

カイロ西側のリングロードを通り、ギザの第1ピラミッドから始まる砂漠道路に入って地中海に出るコースを取る。カイロとアレキサンドリアを結ぶ220kmの砂漠道路は50年前に西砂漠に作られた高速道路で、その沿線には農場が作られ緑が多い。ウズベキスタンでキジルクム砂漠を縦断したときの様な砂漠道路のイメージは全くない。



 

アレキサンドリアは2330年前にアレキサンダー大王の命令で建設された、エジプトで2番目に大きな街である。 アレキサンダー大王は紀元前332年にエジプトを納めた。アレキサンドリアは地中海を隔てギリシャから一番近いところに有ることから、ギリシャ人が地中海を渡り住み始めた。

  

グレコローマン時代は300年ほど続きその間エジプトの中心はアレキサンドリアだった。プトレマイオス朝時代にアレキサンドリアの街に大きな灯台や神殿、図書館等が建設された。ギリシャとエジプトの文化が混ざったヘレニズム文化が現れた。新しい神様、セラピス神が生まれた。セラピス神の為に大きな神殿が造られ、今はボンペイの柱だけが残る。

 

現在のアレキサドリアは人口350万人のエジプトで2番目に大きな街である。

  

海岸道路に面したシーフードレストランに入った。海の見える席に座ると、天窓が開け放たれており海からの少し湿った風が涼しいほどに入ってくる。真夏のエジプトで気温29℃は信じがたいが、北と南ではこれほど気温差が有るのだろうか。
 今年5月に訪れたトルコでもボスポラス海峡クルーズの後、ここと同じ様な眺めのレストランに入り同じ様にシーフード料理を食べたことを思い出す。今ここに座っていても、ここがエジプトとは思えないくらいだ。

 

 

こんなの有る時にも海水浴をしている人がいるのだが危険では無いのだろうか?

 

 



 

 

 

 

  

 

 

 

 

バサール

 

  

ポンペイの柱からグレコローマン博物館に移動するとき、路面電車の走っている通りを抜ける。

 

 

狭い道幅の道路に路面電車の往復線路が引かれており、電車の速度も遅いのでかなり交通の妨げになっているような感じを受けた。