仏国寺 

 
ここにも世界遺産を示す大きな石碑が置かれていたが、なぜだかわざわざ日本の漢字がハングル文字の下に表記されている。今まで見てきた他国の世界遺産の石碑にはローマ字の表記がされているのが普通だったが、それだけ日本人観光客が多いのだろうか?

 

 

 

 
2番目にくぐった天王門の両脇には大きな四天王像が2体づつ左右に別れて置かれていた。

 

 
日本の寺ならばこの様な門には2体の仁王像が配置されているのが普通であり、四天王像は御堂の中で、本尊を取り囲むように配置されている事が多いのだがこの違いの理由は分からなかった。

 

 
また、四天王はそれぞれが違った物(龍と玉、槍と五重の塔、琵琶、剣)を手に握っており、これは韓国の寺ではお決まりのポーズらしい。

 

 

 

 
それに、四天王の股の間に餓鬼が挟まれている。日本でならば、餓鬼の体を片方の足で踏みつけるポーズを取っているのが一般的だと思うのだが、細かく見ると色々違いが発見できて面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
天王門をくぐると広場が有り、その向こうに石橋と、石垣の上に建つ御堂が見えてきた。この紫霞門に続く石橋は下段を青雲橋、上段を白雲橋と言って、俗世と仏の世界の境を表現していると言うのだが、私の目にはどう見てもその様な造形は感じられなかった。現地ガイドはしきりに、「この石橋は傾斜角度や各段の高さが当時の韓国人の体型に合わせて設計されていて均整がとれている素晴らしい橋だ」と力説するのだが、実際に階段を登る事ができないのではそんな説明も実感できない。

 

 
建物のほとんどは1593年の文禄の役の際に焼失してしまい再建されている。

 

 
私達は、右端の入り口から回り込むと、先ほど外から見た紫霞門の奥に位置する大雄殿の前に出た。